子どもたちと一緒に理想の学校を考える

8月末に「理想の学校をつくろう」というイベントをおこないました。

このイベントは私のよき友達でありよきアドバイザーである2名の子どもたちと一緒に企画し、実施しました。「仕事」として依頼をし、3回程企画ミーティングをおこない、実施に至りました。


小6のR氏。
お母さんが私のブログを読み、「うちの子と似ている!」とのことでご連絡をくださり出会いました。
今の学校の在り方に課題意識を持ち、一時期学校へ行っていなかったとのことです。
彼は何でも疑問を持つ。
「なんで学校にランドセルを背負っていかなければならないのだろう」
「なんで水筒は持っていっていいのに、ペットボトルはだめなんだろう」
「なんで上履きを毎週末に洗う必要があるのだろう」
「なんで運動会ってあるのだろう」
自分が納得できないと行動したくない。
先生に聞いてみても、納得できるように答えてもらえない。
人にどう思われようと、どう見られようと、自分を曲げるわけにはいかない。
「注意すると学校にこなくなるから」
そうやって彼と向き合うことをやめてしまった先生もいる。
プログラミングを勉強中。このあいだはアプリつくってた!すごいな。
彼と接していると、その洞察力と感受性、そして自己決定スキルの高さに驚かされる。

中1のL氏。
出会いはもう3年前。
彼は読み書きに困難さをもっている。漢字を読むことは難しいし、書くことはもっと難しい。耳からの情報は何でも覚えている。私なんかよりよっぽどたくさんのことを知っている。
学校には読み書きをする時間が多い。とても多い。
読み書きに困難さを持つ彼は、iPadなどのデジタル機器での学習であれば、十分に学べる。
だが、学校はそれを許さなかった。
「他の子どもがうらやましがるから」
今は家で過ごしている。マイクラがとても得意。彼が作った作品はすごい。
その想像力の豊かさと、ボソっと本質をついた発言をするところ、発言はすくないけれど、内に秘めた深い思考に私はいつも驚かされる。




そんな超魅力的な二人と企画した「理想の学校をつくろう」イベント。
ワールドカフェ式に、
大人も子どももごちゃまぜになり、フラットな関係性で
「理想の建物」
「理想の決まり」
「理想の先生」
「理想の授業・時間割」
についてディスカッションをした。
90分間、みな集中して話した。
その中にはもちろん学校の先生もいた。











私たちは普段学校や教育について考えるとき、本当に子どもたちは何を願っているのか、何を欲しているのかあまり聞かない。
本当は私たちは子どもたちと一緒に考えなければならない。
だって何があの子たちにとって幸せか、分からないもの。




イベントが終わった後に、あの子たちは言った。

「今の学校が変わらなきゃ意味ない」

その通りだと思った。

私は「少しずつ理想的なものに、魅力的なものに変えていければいいかな」と思っていた。
あの子たちはその間にあっという間に大人になる。

あんなに魅力的な人たちが、過ごしにくい学校であることに、私は責任を感じる。
もっとやれることがあるはずだ!


「たまたま入った学校が合わなかった」
「たまたま担任の先生が合わなかった」
そんなの彼らにとってただの言い訳。
そんな「たまたま」で、心がたくさん傷ついている子がたくさんいる。
その傷を一生背負っている人もたくさんいる。

先生も同じ。
「たまたま管理職が合わなかった」
それで学校に行かれなくなってしまう先生はたくさんいる。

多様な子どもや先生を排除する「学校」なんて。
そんな「学校」であるのは、誰の責任だろう。

私は、私たち一人ひとりの責任だと思う。
気づいた人、「もっとこうしなきゃ!」と思った一人ひとりがアクションを起こして、つながっていく。
自分に何ができる?

自分にできることの少なさにいつも無力感に苛まされるけれど、
「やっぱり無理じゃん!」って言われないように、
もっとやれることを探して、一つずつ行動にしていきたい。

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