違和感をスルーしないで言語化する

先週末は大阪でイベント登壇、その後に北海道の学習会でプレゼン、そして小学校での校内研修。
その次の日は会社でセミナー、そして会社で研修。今日は教員志望者向けの研修。
ここのところこんな毎日を過ごしている。とにかく人前で話す機会が増えた。


正直人前で話すのはそんなに得意じゃない。書くほうがまだ好き。
緊張するし。


そんな中でもやっぱり話したい!と思うのは、「インクルーシブ教育について知ってほしい」とか「行動を起こしてほしい」ではなく(もちろんそれもあるけれど)、会場全体が学びに没頭する、あの瞬間がたまらないからかもしれない。いわゆる「フロー状態」である。

会場のみなさんがそれぞれの気づきを得て、学びに没頭できる状態を即興で作り出す。それは私が考える「理想の教育」と近い。学びのコントロール権を学び手である参加者に戻す。参加者をわたしはコントロールできない。してはいけない。
つまり、私の理想的な教育の形をその場で即興で実現する、「入れ子構造」の研修やセミナーを目指している。
まだまだうまくいかない時がほとんどだが。

そんな状態をつくるためには、まずは参加者の皆さんの学びのニーズを顕在化させる必要がある。
つまり、「適切な問い」をたてるということ。
参加者の方々が学びたいことは何か。なぜこのセミナーに来たのか。その人たちの理想の教育観はなにか。
それを考えながら「問い」をたてる。
そしてその問いを出した上で、さらに参加者のみなさんから新しい問いを引き出す。

私の研修やセミナーで私がみなさんに持って帰ってもらいたいのは「新たな気づき」。

私の研修やセミナーにいらしていただき、「素晴らしい」と感じる人もいるかもしれない。「違和感」を感じる人もいるかもしれない。
どちらでも良い。「不満足」でも良い。
ただ、その場にいることによって、なんらかの気づきを得てほしい。
私にとって、ただ、「素晴らしい」とか「つまらん」では、研修やセミナーをやった意味がない。

素晴らしいと感じたなら、なぜ素晴らしいのか。自分の考え方と似ているからか。似ているポイントはどこか。自分の理想はどこにあるのか。それに向けて何をしていきたいのか。
違和感を感じたなら、なぜ感じたのか。自分の考える理想とどう違ったのか。もっと知りたいのであれば何を知りたいのか。なぜそれを知りたいと自分は感じるのか。自分はどんな経験をしてきたからそう感じるのか。

内容についてもそうだし、私の研修・セミナーのスタイルについてもそう。自ら考えたり立ち返るワークを間に頻繁にいれるが、ワークをすると居心地が悪い人もいる。どうして居心地が悪いのか。楽しいという人もいる。どうして楽しいのか。


こんな風に私の研修やセミナーがこのスタイルなのは、その奥に私の欲求や理想があるから。

さらにこれをメタ的にみると、「研修やセミナーで気づきを得てほしい」というのも私の理想でしかないので、押し付けになってるっちゃなってる、とも思う。
「ただ楽しみたい」って人もいるからね。
でも、それを言ったらキリがないから、せめて自分で認識しておきたい、と思う。


内容や方法に違和感を感じた人はその違和感を教えてほしい、と切に思う。
まったく異なる視点は私に新たな気づきをくれるから。


違和感をスルーしないって大切なこと。
違和感は自分が大切にしたいことに気づかせてくれる。
思えば今までわたしはそうやって学んできたし、自分の大切にしていることに気付いてきた。
大学の授業も学会もセミナーもSNSも。何か違和感を感じた時に、それを無視しないで、どうして違和感を感じたのかとことん突き詰める。
私のノートは「問い」だらけだわ。






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