授業中に席を立つあの子は間違ってなんかいない

「普通を疑う」でも書いたテーマですが。
重複しますが何度でも書きたくなるテーマなのです。

よく「そろそろ我慢を覚えた方が良いですね」「我慢を覚えた方がこの子のためになりますね」などの言葉を聞く。

そしておもちゃをとられた子や、ぶたれても泣かない子に「我慢してえらいね」との言葉も聞く。

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私がよく出会う子どもたちは、我慢をすることが苦手な方が多い。
いわゆる「発達障害」のある子どもたち。

例えば、つまらない授業や分からない授業の時は席を立つ。
自分の思い通りにならない時には、泣き叫んででも思い通りにしようとする。
やりたくない課題は、回避する。
ゲームで負けた時は、怒って物を投げたり、人にあたったりする。

衝動性の高さや、こだわりの強さ、顕著に「一般的」と異なる認知の仕方をする人は、感情をコントロールすることが難しい傾向がある。

かくいう私もそういった傾向が幼いころからあった。

そういった時に、指導者や支援者は「我慢をすること」を強いがち。

たしかに、怒りを感じたときにすぐに爆発したり、つまらない時や分からない時に立ち歩いて回避をするのでは、その子は生きづらさを感じるかもしれない。

だが、その時にその子が本当に必要なのは「我慢すること」なのだろうか。

怒りを感じたときに、その怒りを押し込めることなのだろうか。
つまらない時に、我慢して聞いているふりをすることなのだろうか。
分からないときに、我慢して分かるふりをすることなのだろうか。

本当に必要なのは、
「怒り」を感じたときに、その怒りを表す方法や発散する方法が「爆発」「泣き叫ぶ」「暴れる」ことしかないことなのではないか。「爆発」することで、周りの子は離れていくし、その子はおそらく損をする。爆発以外にも、「怒り」を他者に伝える方法はあるし、発散する方法はある。

「悔しい気持ち」や「怒っている気持ち」を我慢する必要はない。
その感情の表現方法と発散方法のレパートリーがもっと増えたら素敵。
それを一緒に探すことが私にできることだと思っている。
「やめて」と言ってからいったんその場を離れる。水を飲む。好きなキャラクターのしりとりを頭の中でする。深呼吸をする。好きな音楽を聞く。練り消しを握りしめる。

ゆくゆくは、どんな時に自分は怒って、どうしたら怒りが収まるのか、自分で分かるようになると素敵。
今日の自分の気分はどうかな?算数の時間が終わった後の自分の気分はどうかな?チェックイン・チェックアウトシステムを使う。


逆に、感情を殺すことを覚えたら、どうなるのだろう。
「我慢することはいいこと」と覚えたらどうなるのだろう。
「怒ることは悪いこと」と覚えたらどうなるのだろう。
困ったとき、つらいときは「我慢したらいい」と思ってしまうのではないかな。
問題がおこった時に、「我慢する」しか選択肢がなくなって、解決にむかえないのではないのかな。


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授業中に席を立つあの子も一緒。

「つまらない」「分からない」「やりかたが分からない」「やりたくない」の表現方法が「立つ」。

他に表現するためのレパートリーがあったらいい。その選択肢を提案する。
そのためには、なぜその子が「立つ」のか分からないといけない。
「分からないカード」を出す。
「休憩が必要です」と言う。
分からないのであれば分からない原因を探す。


圧力をかけて、脅して「座らせる」なんてとんでもない。

何人もの多様な子どもを見てきたけれど、
どんな子どもも環境次第で学びに夢中になれる。没頭できる。目が輝く。

「指導がうまい」と言われている先生の授業を見たときに、
その学級はまるで軍隊のようだった。先生の指示でパッと動く。誰も姿勢を崩さない。
私はこの子たちが大きくなったらどうなるのか想像したら、怖かった。

指示を聞かないと何もできなくなるのかな。
分からないときに分からないと言えなくなるのかな。
つまらない時につまらないと言えなくなるのかな。

最近「言うことを聞かない子」より「大人の言うことを聞く良い子」の方が見ていて心配になる。

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本当は私はあの子たちに、「つまらなかったら立ち歩いていいよ」「分からなかったら好きなことしてていいよ」「無理して適応なんてしなくていい」と言いたい。

でもそうやって言えるだけの社会をまだつくれていなくて、ごめんね、って思う。

コメント

  1. すばらしいです! 私も授業中30分座っていられませんでした。 まさに授業がつまらかったから、集中力がきれたからです。大人でも面白い講義は聴き、面白くない講義は寝ます。 学校の先生は申し訳ないが、世間知らずが多すぎる。
    民間企業なら勤まらない人が多分に居る。 大学を出て、すぐにまた学校だと井の中の蛙になってしまうのも仕方が無いが、その社会構造も如何なものかと思いますね。 

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  2. 先生が立ってるのに下の者たちが座ってるとは何事か! 授業中はむしろ席を立つのが正解だ!

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  3. とても参考になりました。有り難うございます。バングラデシュで3年間、幼児教育に関わり、障害を持つ多くの親たちが苦しんでいる様子を見てきました。通常の教育システムさえ、まだきちんとできていないなかで親子の苦悩は想像を絶するものがあります。障害を持つ持たないに限らず、人種や宗教、性や個性も含めて、インクルーシブな社会をどう構築するか、私たちは考えていかなければなりませんね。投稿に心を動かされたので、コメントさせて頂きました。これからも頑張って下さい。

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