「障害」にかかわる仕事をするということ。

頭の中を整理するためにブログを始めることにしました。

第1弾。

「障害」にかかわる仕事をするということについて。

私は大学1年生からこの分野の勉強をしていて、今博士課程の3年次だからじつはもう9年目になる。
その間小学校や民間機関で障害のあるお子さんと関わる仕事をしてきた。

いくら勉強してもわからないことだらけだし、いろいろなお子さんに会えば会うほど、自分の何もできなさがもどかしくて、さらに勉強して、実践して、考えて、勉強して、実践して。いろいろな教育・療育現場を見に行って、何がいいのかなーって考えて。


分かったことは、知れば知るほど、何が正しいかがわからなくなるってこと。


だから私は自分のものさしだけを「正解」と語る人を信頼しない。

支援者は満足した時点でそれ以上良い支援者にはなれないからだ。


それは一支援者だろうがベテラン教授だろうが関係ない。


本当にお子さんにとって良い支援は何か考えている人は、常に必死だろう。

それはどの領域だろうが関係ない。


本当にお子さんにとって良い支援を考えているのか

あるいは
自分のプライドを守っているのか
「障害のある人を支援している自分」に酔っているのか
「社会貢献」のためなのか
お金のためなのか
権力のためか
名声のためなのか
自らの「癒し」のためなのか


何がただしいのかわからないけれど、私はどんな立場になっても、常にお子さんにとって良い支援ってなんだろう、って考え続けたい。

そこは妥協しない。

コメント

  1. メモ。「障害のある人に支援をとどける」ために「社会を変える」のは分かる。「社会を変える」材料として「障害のある人に支援を届ける」のはやっぱりいらない。

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  2. いただいたツイート
    ■詰まる話ね、「疑問に思わなくなった」らそれが終わりという証拠なんだよね。なんで?っていう好奇心が知識や知恵を得るための原動力。だってさ、これはこういうもんだからという既成概念も確かに大事だけど、それは思考が停止した証なんだという事がこの年になって分かった。

    ■どちらなのだとしても「私が正しい、あなたが間違ってる」と見下ろす態度でなければ(届く/つながれる)んじゃないかと思います。私がやられたのは「あんたおかしい」扱いで、この人根底では「おかしな人たち」って見てるんだろうな…と(ちなみに有名な専門家です)。

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  3. 支援を通して自分が何を得たいのか。

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  4. 仕事を通して何を得たいか自覚しているなら得たいものは人の自由だし、いいと思う。つまり、自分のために「支援」させてもらっているって自覚をしているならってこと。

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  5. お金
    名声
    権力
    癒し

    とても 考えさせられます。歳を負うごとにそうした武装せざるを得なくなってしまう大人(自分も含めて)
    でも、痛みの意味もわかってきたことは敬服!

    どんどん学校へ行けなくなり
    ついに来週校長先生交えご相談と相成り

    そんなギリギリなオトナたちへ
    どう 旨く伝えるべきか?

    ママも学校行きたくありません。(行かずに済むなら)

    頭の整理するために、相談のレジメ
    マインドマップしてみます。

    今日もパワー頂けました。
    ありがとう!

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    1. ありがとうございます!

      私には研究と少しずつ発信していくこと、そして仕組みを少しずつ整えていくことしかできませんが、その時できる最大限をせめてやっていきたいです。
      少しずつ、少しずつでも必ず伝わっている!って思っています。

      その辛さが少しでもなくなりますように!

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