これからの「教科」の話をしよう

1月20日~26日にニューヨークとメリーランドへ視察に行ってきました。

ツイッターの報告レポートはこちらを参照。

このレポートを読んでいただいた方には伝わっているかもしれないが、今回の視察で今まで腑に落ちなかった部分がストンと落ちてきた気がしている。

以下、長くなる気がする。そしてだれかの翻訳が必要な気がする。
しばらくハイなので文章がちゃんとかけなくて申し訳ない。




1997年、小学校6年生の時父の転勤でアメリカに引っ越し、同じ学級に車いすに乗ったブライアン君がいて、びっくりした。隣の学級には脳性マヒでコミュニケーションスイッチで意思疎通をはかるクリスティンちゃんが居て、なんで今まで日本の学校では会ったことがなかったんだろう、と思った。
そして私はしばらく英語やこの国の文化がまったくわからないという「障害」があった。

そんなことがあってから「障害」と「教育」に興味を持ち、2004年に高校卒業と同時に日本に帰国。
「私、日本の障害児教育について学びたいです」と面接で宣言をし、筑波大学に入学。

それからというものの、「障害のある子どもと障害のない子どもの教育」についてずっと考えてきた。
そこで興味を持ったのが「インクルーシブ教育」だった。

インテグレーションは「場を一緒にすること」、元がダブルトラックであるインテグレーションに対してインクルージョンは「そもそもが一緒」。元がシングルトラック。そう学んだ気がする。

それってどういうこと?
一緒が本当にいいのか?シングルトラックって場が一緒ってこと?
そもそもなぜ分けたのだろう?
それぞれ違うんだけれど、一緒に生きるためにはどんな教育がいいんだ?
うーん…

なんだかよくわからないけれど、研究室とやらに行ってみた。
知的障害教育の歴史を研究する研究室に入り、杉田裕氏や三木安正氏について知った。
お弟子さんや、当時の特殊学級の先生から、校長先生と喧嘩したって話を聞いた。
当時の青鳥養護学校について知った。バザー単元のポスターを見た。
まっすぐ子どもの方を見て、「知的障害のある」子どもにとって何が良いのか。どうしたら生きやすく、すごしやすくなるのか、研究して、実践した先生方について知った。
なんかかっこいいなあって思った。


今の新しい流れの中で新たにつくるもの、継承するものはそれぞれなんだろう。
それをずっと考えていた。

2008年修士1年の頃にはジュネーブで行われた153か国の文科省・教育局が集まった、ユネスコ主催の国際教育学会「インクルーシブ教育への道筋」に参加。


その時に言われた、「インクルーシブ教育はゼロからはじめるんじゃない。Build onしていくものだ」
そして何度も「多様性」という言葉に触れた。「障害」は「多様」の1つであること。

帰国後に勝手に一人でユネスコの「インクルージョンのガイドライン」を翻訳。
「インクルーシブ教育は多様性を前提とした教育」
「特定の一部のニーズにのみ対応するものではない」
「ユネスコが提唱していることは一つのインクルーシブ教育の形であり、それぞれの国は自国の歴史・文化等のコンテキストを踏まえた上でインクルージョンの議論をしなければならない」


じゃあどんな形があるのかな。自分が住んでいた、ブライアンやクリスティンがいたアメリカはどうなんだろう。
研究に本腰を入れはじめたのはこの頃。


アメリカのスタンダードに基づく教育改革について知る。
障害のある子どもも障害のない子どもと同じ教育内容を学ぶこと、誰もが同じ内容を学ぶことこそ「インクルージョン」だという。
じゃあインクルーシブ教育ではどんなカリキュラムがいいんだ?
障害のある子どもが障害のない子どもと同じ教育内容を学ぶっていったいどういうこと?

修士入って5年、いくら論文読んでもわからなかったから、メリーランドに行って、メリーランド大学のMcLaughlin教授に聞いてみた。
教授は「同じ教育内容を学ぶこと」とは、「教科の本質を学ぶこと」と答えた。
だから、「これから私たちは教科の本質が何かをきちんと共通理解していかなければならない」
「通常教育とか特殊教育とか関係ないのよ。教科の本質は何かしら」


そもそも私たちはなぜ「教科」を学ぶのか。
「教科」を通して何を学んでいるのか?

障害のある子どもはもともと、「本質」を学ぶために「教科」が不適切だったから「教科」じゃなくしたのじゃないの?「特別」にしたんじゃないの?

でも、そもそもの「本質」を私たちは見失ってしまったのかもしれない。
今、見失っているのかもしれない。


障害のある子どもにとって「良い教育」を考える時、私はそもそもの「良い教育」は何か、を考えざるを得ない、と常に思ってきた。CBEも始めたのはそれが理由。

そしてたどり着いたのがここだった。

今全米45州で導入されている「コモンコアスタンダード」は果たして教科の本質を突いているのか。
そしてこのスタンダードに障害のある子どもはアクセスできるのか。
多様なニーズを前提としたインクルーシブ教育におけるカリキュラムとして評価し得るのか。
そして、日本ではどうなのか?
通常教育の教育改革と、今までの「特別」な教育がリンクしてくる。
次のあたしの課題。


今回の視察で、今までのことが全てつながってきた。


視察先ではだれもが誇りを持って「これが私にとってのインクルーシブ教育よ」と言っていたなあ。

それぞれが、それぞれの役割を。
あたしは、あたしの役割をたんたんと。

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