インクルーシブなカリキュラムとは

インクルーシブ教育についてつらつらとこのブログには書いている。

先日はサイト「ふぁみえーる」にインタビューを掲載いただき、サイト「教員ステーション」に「コラム連載①本当に『インクルーシブ』な教育とは?」を掲載いただいた。
ありがとうございます。

今日は具体的にどのようなシステムの構築をあたしが目指しているのか、について書く。

インクルーシブ教育とは、

①全ての学習者には何らかのニーズがあることを前提とし、
②特定のニーズ(つまり「障害」)のみでなく、どんな多様なニーズにも対応できるようなことができる教育システムを目指し
③そのような教育システムを作っていく過程

と以前あたしなりの定義を書いた。

では、インクルーシブ教育システムの構築に向けた課題は何か。あたしが目指す学校教育システムはどのようなシステムか。

まず、カリキュラム(教育課程、ここでは意図的である顕在的なカリキュラムを指す)について今日は書く。

現在の日本のカリキュラムは、学習指導要領に準拠しながら、学校がカリキュラム編成を行う。
特別支援教育対象の児童生徒に関しては、通常の学習指導要領とは異なる、特別支援学校用の学習指導要領がある。

問題は、現在のこのようなシステムは、多様なニーズに耐えることができるようになっているか、ということ。

早い段階で解決しなければならない課題は、今後、就学基準の弾力化がすすめられ、「障害」のある児童生徒がどんどん通常学校・通常学級に入っていく際、どのようなカリキュラム編成をすることが望ましいか。多様な子どもが通常学級に在籍する場合、現行のダブルトラックの学習指導要領のままで対応しきれるか。

そもそも「通常」の学習指導要領を学ぶことが困難であるため、発展してきたのが「特別支援学校学習指導要領」である。そのような困難さを抱える児童生徒は通常学級で何を、どのように学ぶのが望ましいのか。

80年代・90年代の米国から学んだこと。ただ「同じ場」にいることだけでは「学び」は生まれない。
誰もが学べる仕掛けがなければならない。

そのために、あたしは通常の学習指導要領の全面的な見直しが必要と考えている。

そもそも「通常」と「特別」の2つに分けるのではなく、一つのカリキュラムで全ての児童生徒が学べるようにしていきたい。

それには理由がある。

一つ目は先述したとおり、今までは別の場で教育を受けてきた障害のある児童生徒が通常学級に在籍するケースが増えてくること。

もう一つの大きな理由は、通常教育自体が現在抱えている課題である。
いじめや体罰の問題。そして、「生きる力」・「キャリア教育」・IT社会・グローバリゼーションの流れ。

これらの既存の課題解決や、これからの時代に必要な新しい力を身につけるためには、現行の学習指導要領に「足す」形ではなく、そもそもの内容や身につけるべき知識スキルの優先順位を見直した方が良いのではないだろうか。


①最低限学ぶべき知識スキルをまずは「国」として定めなおす
②そしてその後に学校単位でそこに+αで必要な知識スキルを定める。(地域によって違うから)
③余白を残しておいて、個別に必要な知識スキルを+αできるようにする。

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たとえばあたしが理想の学校を作るのであれば、カリキュラムはレインボーカリキュラム(仮称)にしたい。
「最低限」の教育内容はみんな共通している(=教科の本質)。ただ、学び方は選択できる。(教科ごとに学んでもいいし、「生活単元」のように学んでもいい。「生活算数」から「ちょうむずかしい算数」まである。でも本質は一緒。その子にどういう学び方が合っているかを選択するシステムとしては、RTIを参考にしたい。)

そしてその「最低限」を学んだあとは、それぞれ好きな授業を履修できる。
教科をもっと学びたい人は、すごく難しい数学を学んだらいいし、プログラミングを学びたい人はそういう授業もある。農業や、音楽や、理科実験や、経済学、歴史。

こういうのんができたら楽しいなあ。

あとは「最低限」はどこに置くかということと、年齢や学年との関係をどうするかということ。そして資源の使い方を考えたい。たとえば障害のある子やギフテッドの子は小集団や個別指導の時間があったりしてもいい。資源を選択するシステムもRTIやPBSを参考にしたいなあ。
ファシリティはこの間行ったおもちゃ箱みたいな学校を参考にしたい。でも落ち着き部屋ももちろん作る。

いろいろな人からの「また理想いってらー!」って声が聞こえます。

いいんだぜ!

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