「ありのまま」「遊び」「学び」「仕事」

「何者なの?」「何をしている人なの?」と聞かれることがよくある。

「いろいろやっていますが、メインは仕事と研究です」と言うことが多い。

家族や同僚や友達に「いろいろやりすぎ」としばしば言われるが、あたしの中では全ての活動には異なる意味や目的があるから、一つでも欠けたらむしろ動けなくなってしまう、と思っている。全部同時に活動していることにこそ意味があると感じている。
「一つに集中した方が良い」とも言われるが、多分一つの活動に絞ったら、逆に集中できなくなる、とも思っている。

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あたしの今の多様な場や活動を整理すると、

「ありのままの場所」=ただありのままを受け入れてもらえる場所。ただそこに「居る」「生きている」が目的の場所。ここではどんなあたしでも大丈夫。(自分の部屋。近所のロックバーと焼鳥屋。家族、恋人、親しい友達。)

「遊びの場」=何かを達成することが目的ではなく、遊ぶことが目的な、楽しむことが目的な趣味の場。(ライブ、音楽仲間、CBE)

「学びの場」=学ぶことが目的な場。大学院での研究。各種勉強会やイベント。(RTI/PBS勉強会、あぜみ、ぷれジョブ)

「仕事の場」=今のフルタイムの仕事。原稿執筆。講演など。

この4つに分かれるかなーと思う。
でももちろんそれぞれが円になっていて、重なる場もある。例えばCBE(教育について自由に語る場)は「遊び」と「学び」だけど、「遊び」の方が大きい。
そしてあたしの「遊び」の中には「実験」が含まれているので、ほぼ全ての活動に「遊び」が入っている。こういうと語弊があるかもしれないけど、遊びながら、企みながら仕事している、と思う。

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前回「『障害』と『支援』」について書いた時、個と個が属する集団(家族、学校、地域、国など)の間に「生きづらさ」「過ごしにくさ」があることについて触れた。ICFの社会モデルはもちろんこの枠組みだから当たり前のように思っていたけれど、最近この考え方とはじめて真剣に向き合っている。

じゃあ、それぞれの属する集団の中で生きやすく、過ごしやすくなるためにはどういう場が必要かなーと考えて、自分の過ごしやすさや生きやすさはどこからきているかな?と考えたら、上の4つの場がバランス良くあるからだと思った。ない場合は自分で作ったからだ、と思った。
あたしは人のために場所を作ったことはない。全部自分のために作っている。

それぞれの場所にいろいろな人がいて、そこでたくさんの「違い」に出会っている。もちろんつらいこともあったりする。そういう時は、別の場に、遊びの場に行ってみる。ありのままでいい場所に行ってみる。自分の状態に合わせていろいろな場所に行く。学びの場でつらくなったら、一旦仕事に戻って没頭してみる。学びの中で遊びに気付き、遊びの中で学びに気付く。遊びの中で居場所が生まれる。仕事の場でもちろん学びが生まれる。

多分みんなもそうしてバランス保って生きているんだと思う。
4つの間のバランスもそうだし、それぞれの中のバランスもそう。

同じ「ありのままの場所」でも、家族と過ごしたり、ロックバーに行ったり、散歩に行ったり。
同じ「学びの場」でも一人で研究する大学院と、みんなで勉強する勉強会がある。

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以前、CBEで「排除のない教育とは?」についてディスカッションを仕掛けたことがある。
その時にあるグループが発表していたことが本当に印象的。
「排除がない」=「居場所がある」
インクルージョンって、居場所があることかもしれない。
最近本当にそう思う。

そして、はじまりはやっぱり「ありのままでいられる場所」なんだと思う。
そこから、遊びが生まれ、学びがうまれ、仕事が生まれる。

ただ、難しいのはありのままでいられる場所で学びを促すことはできないし、学びの場でありのままも難しい。学校の休み時間とか想像してもらえると分かると思うんだけれど、一見「ありのまま」のようだが、そこには「先生」という前提として学びを提供する人がいる。それはそれで全然いいと思う。学校は「学びの場」だもの。
だから、「ありのまま」は学校とは別の場でもいいと思う。

大変なのは、「ありのまま」の場が一つもないまま「学びの場」にいるとき。そういう子どもはたくさんいるのかもしれない。だから学校が「ありのまま」と「遊び」と「学び」全部を担う必要がある風になっているのかも。それはそれで学校の在り方をもう一度考え直さなきゃ。

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今はそういうことから、「ありのまま」や「遊び」の場を地域に意図的に作っている団体や人に興味を持っている。あくまでも子どもの「学び」の前に「ありのまま」や「遊び」を目的としている活動はずっと学びの場を考えてきたあたしとしては、非常に興味深い。そういう方はぜひご一報ください。


今日も今日とて抽象的なことを書きました。
もうちょっと整理したいな...
あたしの「生きやすさ」「過ごしやすさ」はこの4つの場から来ているけれど、他のみんなは、どこに生きやすさや過ごしやすさを感じているか、知りたい。


付け足し:
人によって、4つのバランスのとり方が違う。仕事の中でありのままも遊びも学びも満足できたりする人もいる。多様なバランスのとり方がある=多様な生き方があるってこと。それが当たり前な文化じゃないと、バランスをとれたとしても生きにくいし、そもそも自分にとって心地よいバランスのとり方が分からなくなっちゃう。

あと、あたしが作った自分の遊びの場が、人にとっての学びの場になったり、仕事で作った場が遊びの場になったりしたらおもしろいなー。



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