あたしがインクルーシブ教育に興味をもったワケ


よく、「どうしてそんなにがんばれるの?」とか言われるけれど、単に興味の幅が非常に限定されていて、こだわりが強いだけです。特にがんばっているつもりもありません。

最近気がついたのは、「電車」が好きで好きでたまらないあの子のようにあたしは「教育」が好きで好きでたまらないだけだと思う。

あたしが開いている勉強会は決して「高尚」なものではなく、マニアが集まる「同好会」的なにほいがするのでは?と思っている。

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だいぶ経ってしまったけれど、10月6日(日)に素敵なフォーラムでお話する機会をいただいた。

学習会「まなびフォーラム~今とは違う新しい「学び」を学ぼう~

あと2回このフォーラムあるので、ぜひ興味のある方は行ってみてください。

研究の話をメインにしようと思っていたところ、

お誘いしてくれた方に、「ぜひ個人的なことを語ってください!」と頼まれ、

今までの私の歴史や、インクルーシブ教育に興味を持った経緯をお話する中で、

インクルーシブ教育の本質って何ぞや?って話をした。

お恥ずかしいのですが、下記にスライドをシェアします。





スライドにあるように、アメリカに行き、自分自身にニーズがあったことが大きなきっかけではあったかと思う。また、特別支援教育との出会いや実際に学校現場で働いたこと、スイスへの学会参加も大きなきっかけ。

たどり着くのは、
そもそもの学校教育の在り方に疑問を抱いているということ。
そして「違い」に対するアプローチに興味を持っていること。
誰もが「当事者である」こと。


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よくインクルーシブ教育の話をすると、

それってできたら最高だけど、理想だよね?実際のところどうすりゃいいの?

ってご質問や

それ、実現できる前にうちの子大きくなっちゃうんだけど、どうしたらいい?

ってご質問をいただきます。

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正直言います。


「あたしにはわかりません」

何が正しいのか、どうしたらいいのか、なんて分からない。

ただ、「こうだったらいいのになー」ってそれぞれ思った時に、
自分ができることってあると思う。どんなに小さいことでも。
それを考えられるのって、自分だけだと思う。

正直、あたしは情報提供やきっかけ作りしかできない。

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「あー、あたしには何もできない」って思ったことがある。
M1の時。

このやろう、って思って、
小さいことでもいいから密かにに世界に挑発したろう、って思って、(このころはとにかくとんがっていたし、組織が嫌いで1人で行動したかった)
とりあえず自分の行動範囲にある点字ブロックの上に置いてある自転車を全てどけて、
そこに付箋で
「点字ブロックの上に自転車を置かないでください。必要としている人がいます。LOVE & PEACE」みたいなことを書いてひたすら貼っていった。若かりしあの頃…

「みんなで一緒にやろう★」みたいなのは本質を失いがちなので当時すごく嫌いで(今でも苦手)
とにかく一人で動きたいんだけれど、社会の構成員一人ひとりのマインドが変えるためにはあたし一人は限界があって。

でもこの時一人で動くことによってなんだか「あーこういう動き方があたしには合っている」と思って、とにかく地道に動こう、と思ったのを覚えている。
大声で叫んだり、大勢で叫んだりするのではなく、ひっそりとつぶやくのがあたしには合っている。
それも「無理のない範囲で」が大事。

CBEを始めたときもそう。
特に人を集めることに目的を置かず、あくまでも「対話」に目的をおき、とにかく続けよう、と思ってやっていた。

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理想に向かうためには、別に大きなことをやる必要なんて全くなくて
大事なのはいつも行っている飲み屋のとなりのおっちゃんに
「教育ってどう思う?」って聞くことだったり
「障害って知ってる?」って聞くことだったりする。

そしたらそのおっちゃんがおっちゃんの家族に話す。
その家族は職場で出会った人に話す。
その職場で出会った人が新聞で「教育」や「障害」の記事を見て「あー、あのヒトが言ってたなあ」と思いだす。
その奥さんに言う。奥さんはママ友に話す。
みたいにね。
「偉い」人の一言より、自分の近くにいる人の一言の方が響いたりする。

焦る必要はない、
と自分に言い聞かせる。


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