答えはあの子にしか分からないから、正解を探し続けることが正解

仕事や研究をしていると、「教育」「療育」「特別支援教育」「医療」「福祉」…いろいろな分野の人に会う。

それぞれ主義主張が異なるし、立場も異なる。
もちろん価値観や思想も違う。
同じ「教育」でも教育方針が異なったり、手法・方法が異なったりするわけで。
とりわけ「特別支援教育」や「療育」の中には多種多様な専門分野や手法があって、大変。

けれど、自分の中で「この人素敵!」と思う人はどんな人かだいたい決まっている。

普段仕事や研究をしている中で、「あたしはこうでなきゃ!」となぜか意識していること。そして育成をする時に、こういう視点を身につけて欲しい!と伝えていること。
そして、他者について判断する基準にもなっていること。


1.問いを持っている。
自ら違和感や疑問を持つ。当たり前を疑っている。自分のストーリーとして何が問題か、どうして違和感を感じるのか、何が目的か、を語れる。

2.とことん追求している。
自ら抱いた違和感や疑問に対して、情報収集をする。納得するまで追求し続ける。使える資源はとことん使う。

3.判断基準を作っている。
1・2を繰り返して自らの判断基準を創っている。
収集した情報を取捨選択し、自分なりのものさしを作る。例えば自分が使う言葉の定義を自分で考えて決めている。

4.探している。
自分の判断基準のもと素敵と判断したものとは別にも素敵なものがないか常に探している。
自分を軸として持ちながら、他に良いものはないか、問題解決や目標達成に活かせる素敵なものはないか、探し続けている。
ここは難しい。自分がつくったものさしだけを守ることに一生懸命になっている人が多い。

5.判断基準を作りなおしている。
自分がもっているもの以外に素敵と思うものに出会った時、それを自分のものにするために、ぐつぐつ煮込んで融合させる。


こんな感じ。

あたしにとっての教育の正解は、こどもたちの自己実現に向かって常に探し続けること。
それが一番の専門性。どんな領域もそう。教育も、心理も、行動分析も、認知も。
教授も先生も臨床家もお医者さんもどんな人でも、そう。
自分のものさしを持ちながらも、常に学んでいる。
療育でも教育でも、そう。
だから立場や領域やものさしや価値観や思想が違う人でも、探し続けることをやめていない人、進化し続けている人は尊敬する。


だって、答えはあの子しかわからない。
学び手は常に正しいから!

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