インクルーシブ教育と行動分析学

昨日は2つのイベントで「インクルーシブ教育」に関する講演をして、
本日は行動分析学会のシンポジウム「インクルーシブ教育システムの構築」にて話題提供をしてきました@弘前大学。

私はアメリカにおける法的枠組みと実践についてお話しました。
あまり上手に話せなくて悔しい!せっかく機会をいただいたのに。


私はもともと行動分析の研究はしていませんが(学部・大学院で授業はよく受講した)行動分析学の枠組みはインクルーシブ教育システムを構築する上で非常に有効と思っています。


なぜなら、子ども、大人にかかわらず、何かが「できない」要因を個人(その人の性格や障害特性)のみにもっていかず、環境との相互作用を分析し、「どうしてできないのかしら?」「そもそもそれってできるようになる必要がある?」を検討する。そしてできるようになる必要があるのであれば、環境を変えることによりできる方法を模索できる。

そもそもの枠組みがすべての人を対象にできるインクルーシブなアプローチ。

一人ひとりのQOLをあげるために、もちろん子どもに行動のレパートリーを増やすこともできるし、先生の行動レパートリーを増やすためにも使える。組織マネジメントにも使える。言い方が悪いかもしれないが、非常に使い勝手の良い枠組み。

例えば以前もこのブログ「多様な人が活躍できる組織マネジメント」について書いたように。

いっぽうこれだけ使える武器をなかなかこの国で使いこなせていないのはなぜか。
やはり私はその要因は「他分野とのコラボレーションが足りない」からであると思っている。

問題行動にこまっている子どもがいるときには呼ばれる。そこで行動コンサルテーションをして、子どもの行動を変えて、終わり。

個の行動を変えることに焦点を当てる前に、そもそも先生たちが大切にしている教育観は何か。それに基づき「良い」授業をするための武器としての行動分析と提示する必要があるのではないか。


例えば、「問題行動」があるとされている子どもがそもそもどんな授業を受けているのか。それは本当に最大限子どもの学びにつながる授業なのか。そこの分析をせずにして(RTIで言うところの一層支援を考慮せずに) 「問題行動」があるとされている子どもに介入するのは、果たしてインクルーシブだろうか。

極端な言い方をすると、その子にとって学びが少ないのに、みんなと同じように我慢して課題を遂行するように「行動変容」させることは本来教育に求められている機能を無視してないか。

正直、通常教育の研究者とのコラボレーションを進めなければ、特別支援教育も行動分析も意味ないと思っている。教職課程に入れても結局「特別なこども用の特別なアプローチ方法」になってしまう。


この2日間、ずっと特別支援だから、通常教育だからって議論をとっぱらって、教育自体の改革が必要!と叫んできた。だからそもそも良い教育って何なのか、それぞれの人が一度立ち返ろう。
専門家は自分の専門以外のことを知ろう。
前回の投稿「インクルーシブ教育には通常教育の改革が必要なワケ」にも散々書いた。

そのためにあたしにできることをもっとやってかなきゃ。
まだまだ足りない。


以前こちら「インクルーシブ教育研究のために必要なコラボレーション」にも書いたこととかぶってるところもあるが、
これからあたしがやりたい具体的なこと。

①実際に学校に入ってスクールワイドな支援モデルをやってみる(RTI・PBISの応用)

②通常教育の専門家の先生方(教科教育・教師教育の研究者など)とのコラボレーション、「良い」授業とは何か?について対話した上で実践までもっていく。
③多職種がチームになって問題解決ができるような枠組みを作る。
④①~③をしっかりエビデンスに残す=研究的に取り組む



散々叫んで大事なのは自分がどんな行動をするかってことを改めて実感しました。
実践、研究その積み重ねをしっかりしていかないと説得力がないったりゃない。
困ったことに上記以外にもやりたいことがたくさんあるのだけどね…

今回機会を下さった主催者の方々、そして尊敬する井上先生に心から感謝。
まだまだこれから精進します…!
弾んでいくぜ。

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