「自分のやり方」に合わない子どもがいることを認識する

年明けに、「『特別を増やすのではなく、『通常 』『普通』の幅を広げたい」と書いた。
インクルーシブ教育は、障害の有無にかかわらず、学び手は多様であることを前提にした教育。そこに「特別」は必要ないということ。

そのためには、「自分のやり方」にはハマらない、合わない子どももいるということを認識する必要がある。自分が考える「当たり前」には入らない子どももいるということを認識する必要がある。
つまり、誰にとっても学びやすい魔法の指導法なんて、存在しない。

よく「こうすれば学級がまとまる!」「○○先生に学ぶ魔法の指導法」みたいなうたい文句があるが、私はまったくもって信頼していない。
(ああ、多くの人から反感をかいそうだけど今年ははっきり言っちゃう…)

なぜなら、「学びにくさ」や「過ごしにくさ」は個と環境の相互作用の中でおこる。
同じように、「学びやすさ」「過ごしやすさ」も個と環境の相互作用の中でおこる。

つまり、ある先生とその先生が受け持ったある集団の中で起きた学びというのは、再現不可能ということ。
カリスマ教師の○○先生のテクニックを真似するだけでは、その集団の中で起きている「学びにくさ」や「過ごしにくさ」はなくならない。
なぜなら、先生も違うし、その集団を構成する子どもたちも異なるから。

なので、カリスマ教師から何かを学ぼうとしたら、
そのカリスマ教師のもっている強み、理想、アイデンティティ、能力・スキル、行動を分析し、さらにその集団を構成する子どもたちについて把握しないと、「なぜ」そのカリスマ先生とある集団の中で素晴らしい学びがおきたのかがわからない。

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「ユニバーサルデザイン授業」にも同じことが言える。
「ユニバーサルデザイン授業」は「誰にとってもわかりやすい」といった定義で捉えられがちだが、大切なポイントは「その集団のだれにとってわかりやすい」ということ。
つまり、集団のプロフィールに合わせてデザインされるべきであり、
単純に「視覚支援」とか「黒板の周りの刺激をなくす」とかそういった枝葉の話ではない。
そのためには、その集団を構成する子どもたちはどんな傾向があるのか把握し、その上で授業をデザインする必要がある。
子どもの傾向がバラバラであればバラバラであるほど、自分の指導の幅を広げていく必要がある。

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さらにいうのであれば、「良い授業」の定義は、一人ひとり異なる。
ある先生からみた「良い授業」は、ある先生からみたら「良くない授業」であるかもしれない。
ある子どもからしたら「良い授業」はある子どもからしたら「つまらない授業」かもしれない。

自分にとっての「良い授業」はどんな授業なのだろうか。
それは、子どもにとっての「良い授業」と本当に一致しているのだろうか。
常にリフレクションをする必要がある。
自分が思う「良い授業」と子どもにとっての「良い授業」の間に不一致は起こるものであることを前提にしなければならない。
(「良い授業」を「良い教師」「良い学級」「良い学校」…などに変えても同じ)

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以前、自分にとって「想定外」の行動を子どもがとった時に、自分の成長機会がある、と書いた。

小6の友人Rは卒業文集を書く意味がわからないという。
卒業式に出席する意味もわからないという。
学校に行く意味もわからないという。

これを「反抗」と捉えるのか、「問い」と捉えるのか。

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指導をする上での視点や指導法はたくさん知っていれば知っているほど良いと私は思っている。
カタログのように多様な視点と指導法を持っていれば、
その集団に合わせてそれらを組み合わせることができる。選ぶことができる。

一方、大切なのは多分そのカタログがいくら増え続けても、自分の指導の幅をいくら広げ続けても、
常に「自分の知っているやり方」には合わない子どもがいることを認識しておくことだ。

本物の教師は、常に学び続けている。
「おれのやり方を見習え」なんて絶対に言わないだろう。
常に新しい視点を、常に新しい指導法を。
自分には見えていない子どもたちの姿を。
誰よりも貪欲である。満足していない。
私は、そんな教師を尊敬する。

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おまけ:
対子どもだけではなくて、対大人でも一緒。
「マネジメント」にも同じことが言えるね。

おまけその2:
書いてていつも思うけど、「あたし論」もあくまでも一つの視点。
私も他の見方もあることをいつも認識していたい。



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