ここのところ、自分の専門以外の分野のイベントに参加したり、他分野の人同士が交流するようなイベントを仕掛けたりしている。
7月末 日本行動分析学会 参加
8月2日 インクルーシブな場を作りたいひとたちが集まるプラットホームEcosystem for All(仮) 仕掛け
8月4日 フューチャーセッション「自己選択できる思春期」 仕掛け
8月6日 インクルーシブ教育研究会「あぜみ」バーベキュー 仕掛け
そして今日
あらー書いてみたら2週間イベントだらけ。
理由は、インクルーシブ教育を考える時、領域を超えざるを得ないから。
特別支援教育の中に全ての答えがあるわけではない。
他分野との領域横断的なコラボレーションによって、共通点を見つけたり、ヒントを得られたりする。
あとは、マクロな視点とミクロな視点の両方をバランス良く持っていたいから。
単純に知らないことを知ったり、共通点を見つけるのは楽しいし。
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最近「インクルージョン」や「インクルーシブ教育」の本質は、
「みんな違うけど、まあ、うまくやっていこうぜ」 にあると思っている。
大事なところは「みんな違う」という前提と、「うまく」やっていくということ。
その地域や集団によってなにが「うまく」なのかは変わってくる。
そんなもんだ。
「うまくやっていく」ためには、個のキャパと個を取り巻く環境のキャパの調整が必要だったり、こんな専門性がある人が必要だったりする。
だから、「インクルーシブ」なんていわなくても、個を取り巻く環境に「多様性」に耐えることのできるキャパがあれば、既にそれはインクルーシブなのだろう。
多様性に耐えることのできる教育
多様性に耐えることのできる地域
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そんなわけで、多様性に耐えることのできる教育ってどんなのかしら?とずっと考えている。
つまり、いろいろなニーズのある子どもたちがそれぞれ学ぶことのできる教育ってどんなのだろう。
どういう仕組みがあればいいのかしら。どんな手法がいいのかしら。
ちなみに理想のカリキュラムはこちらにちらっと書いた。
特に最近は授業のいろいろな手法・方法や学級経営・学校経営の方法など興味を持っている。
もちろん「特別支援教育」の分野のみでなく、教育全般的において。
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あるご縁がきっかけでお会いした素敵な方にお誘いいただき、今日は 第7回キャリア教育推進フォーラム 「学習意欲を高め学力につながる授業改革」~授業研究会を通した効果的な教員同士の学び合い~ に行ってきた。
ねらい:
- 学習者側に立った指導のあり方について検討する
伝統的な授業感による授業形態から学習者を主体とした授業のあり方への転換が求められており、このような指導方法を確立するための指導計画や学習展開の方法論について検討します。 - アクティブラーニングによる学力向上について考える
アクティブラーニング型授業は、学力向上にも効果的であるとの検証結果を得られており、その結果を踏まえ効果性について考察します。 - 効果的な授業研究会のあり方を学ぶ
学習者主体による授業やアクティブラーニング型授業を導入し、推進するための授業研究会について実際に体験することからその方法論を修得します。
講義形式もあれば、グループワーク形式もあり、実際に高校において「アクティブラーニング」を実践されている先生方の生の声をたくさん聞くことができて、非常に興味深かった。
「具体的かつ一貫性のある設問の仕方」
「能動的な学習」
「教科や領域を超えた指導」
「生徒の経験や生活に関連する問いや課題設定」
ここらへんの視点は特別支援教育と近しく、むしろ特別支援教育、特に生活単元学習なんて先端的なアクティブラーニングじゃない?なあんて思ったり…
ここにいらしていた100人の高校の先生方と特別支援教育の先生が組んだらすっげー素敵な授業できそう、と思ったり…
「多様性を前提とする」という点はアクティブラーニングにしてもインクルーシブ教育にしても、共通している。
アクティブラーニングという手法は多様な学習者がごちゃまぜになっている空間において、それぞれの学びを主体的に進めるための一つの手法。
「できない」や「失敗」を悪とせず、むしろ「できない」や「失敗」を「問い」として捉えることのできる文化ができる可能性を秘めていると思う。
「分かる」人は「分からない人」の問いに答えたり、説明することで、より深く学ぶことができる。
なにより、学習者が主体的にキラキラと学ぶとても大きな仕掛けになる。
(今日のフォーラムで言うところの「教科書の問い」を「子どもの問い」に変える仕掛け)
とっても魅力的。
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一方、アクティブラーニングが「すべての」多様性に耐えることのできる手法か、と言うと疑問がある。単純に、一人で学ぶことの方がより多くを学べる人もいるし、アクティブラーニングがつらい人もいる。人と接することに過度の緊張を感じる人もいる。
そういった時に他の選択肢がないのは、逆に「多様性」を前提としていない?
「ぼっち」で学習を進めるのは本当に許容してはいけないの?
「空気読めない」人がいた時にはどうしたらいいの?
そして大切なのは、「アクティブラーニング」で「何を」学ぶか。何が優先的なのか。
いわゆる「基礎学力」を身につけることが大事なのか。
それともそれよりも「汎用性」「問題解決力」「コミュニケーション力」なのか。
「両方いっぺん」なのか。
あとは、「評価指標」は?
「アクティブラーニングで東大に○人受かりました」
それって本質を見失っていないだろうか。
いかんせんまだまだ勉強不足なので、分からないことがたくさんあるけれど、あたしの興味にとても近い分野と思うので、もっともっと知りたい!
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誰もが「学び方」を選ぶことができれば一番いいなあ、と思う。
それも教科や単元によって。
あたしだったら社会はまったく興味もてないし苦手だからアクティブラーニングがいいなあ。国語はモチベーションあるし、一人で進められそうだから、自習がいい。あ、でも漢文は分からないから教えて欲しい。あと算数は本当にわけわからないからE-learningで何回も同じ説明をビデオで見れた方がいいかな。予備校の名物先生のすっごく分かりやすい授業のビデオ。
のような感じで決められたら面白いかな。
もっと言うなら、社会は学校で学ぼう。算数は塾で。国語は家でいいかな。でも漢文の時だけ学校行こう、って人がいてもいいんじゃないかと。
もっと言うなら、社会は学校で学ぼう。算数は塾で。国語は家でいいかな。でも漢文の時だけ学校行こう、って人がいてもいいんじゃないかと。
どの領域でもそうだけれど、一つの手法に固執するのはもったいないと思っている。
固執しすぎたら、本当に大事なことが見失われてしまいそう。
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教育を語る時に「べき」という言葉ほど危険な言葉はない。
だって、何が正解か分からないんだもの。
だから対立したって意味がないし、
一つの手法にこだわるのは、あまりにもキケンと思っている。
「数ある手法の中から、僕はこれやってみてるよー」ぐらいの感覚じゃないと
「僕の手法がイチバン!これが正しい!」になっちゃうと、大事なことを忘れてしまう。
大事なのは、「何が正しい」かより、より良い「学び」のために考え続けることじゃないのかな。
一つの手法にこだわらず、いろいろな引き出しをゲットして、全部かけ算してみたい。
対立するのではなく、対話していきたい。
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