教育とは自分と向き合うことだ

先日3日間にわたり、オランダ・ユトレヒト大学 名誉教授であり、「教師教育学」の先駆的な研究者の一人であるフレット・コルトハーヘン先生のワークショップの通訳をする機会をいただいた。


私は以前から、「通常教育」と「特別支援教育」があまりにも別のものとして語られることに違和感を感じていた。
例えば特別支援教育のためには担当教師には「特別」な専門性が必要とされており、いわゆる「障害」のある子どもの教育を担当するためには「特別」な教師教育が必要とされている。
が、私は「障害」についていくら知っていても、そもそもの教師としての専門性を持っていないと意味がないと思っている。


つまり、その対象がだれであっても、教師には共通する教え手として必要な「専門性」がある。

特別支援教育の研究者や実践者は、通常教育における専門性の議論を知ることもなく、「障害のある子どもについて知らないとかありえなくない?」といった若干の上から目線。通常教育の人はもっと特別支援教育について知るべきだ!なんて言っちゃう。
通常教育の研究者・実践者にとっては「特別支援教育」は他人事になってしまう場合が多い。「障害のある子どもの教育は自分の領域じゃないんで。。。」

インクルーシブ教育においては、ここの垣根を取っ払い、
子どもたちは多様であることを前提とした上で、
「良い教育とは何か」「良い授業とは何か」「良い教師とはどんな教師か」といった議論をしていく必要がある。

前置きが長くなったが、今回コルトハーヘン氏の通訳をつとめることにより、
研究者そして実践者としてぼんやりと考えていた「対象となる学び手がだれであれ、教え手として必要な専門性」がクリアになった。
そして、最近よく思っていた「教育とは自分と向き合うことだ」とまさに繋がった。

コルトハーヘン氏のワークショップについてより詳しく知りたい方は、
ぜひ主催者の一人である東京大学・中原淳先生のブログをご覧いただきたい。

私は自分が今までぼんやり考えていた「あたし論」とコルトハーヘン氏のワークショップ内容を結びつけていく。

子どもと教師に限定されるのではなく、すべての「教え手」「学び手」の共通することなので、あえてこれらの言葉を使います。
企業や他の分野の人材育成においても十分に活用できる。
また、用語についても私がつかいなれている用語を使います。

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◾︎ 自分の実践をリフレクションをすることで学び続ける

今までの教師教育は、理論と実践が乖離していた。
大学の教員養成の段階で理論を学生に伝達することが、どれだけ学生が教師になった時に役に立ってきたか?というと、まったく役にたってこなかった。
どれだけの教師が自分の日々の実践を理論と結びつけている?


コルトハーヘン氏は「理論」と「実践」をつなぐためには「リフレクション」が必要であるとしている。
自分の実践を振り返り、それを理論と結びつけることにより、より良い実践につなげる。
こういったアプローチの仕方を「リアリスティック・アプローチ」と呼ぶ。

いくら教員養成段階で他者から理論的な知識を得たとしても、それを実践に移すことは難しい。なぜなら、理論だけに頼っていてもうまくいかないから。
教わったことをそのまま実践に移しても、それはマニュアル的であり、「人」である学び手はマニュアル通りの行動はしない。

そのため、教え手は実践を繰り返す中で、学び手の反応に応じて、大学では学ばなかった「想定外」な状態に柔軟に対応することが求められる。
そのためには、教え手は自らの実践を振り返り、理論と結びつけることで、自分の行動のレパートリーを増やしていく必要がある。つまり、教え手であると同時に学び手である教師は自らの実践から学ぶことが前提となる。理論は「前提」ではなく、良い実践のための「武器」として使う。

教師教育者は、ただ「理論を教員志望者に伝えること」ではなく、「実践から学び続ける教師を育てること」が求められる。
そのためには、学び手である教員志望者にリフレクションを促し、理論と結びつける作業を教員養成の段階でおこなっていく必要がある。


◾︎ 「快適ゾーン (Comfort zone)」から外に出た時を学びの機会として捉える

これは、「授業中に席を立つあの子」、つまり、教師にとって「想定外」の行動を子どもがした時、それは教師にとって自身の学びの機会となる、ということでもある。

私たちは今までの経験から次におこることを予測している。
見通しが立っている状態、自分の思い通りに物事が進む状態は私たちにとって非常に心地よい。これが「快適ゾーン」にいる状態。

ただ、見通しが立たない状態、つまり「想定外」の状態は心地悪い。
子どもが「想定外」の行動をした時、自分の思い通りに動かなかった時、私たちはその状態から逃げたくなる。もしくは、高圧的に接することで戦い自分を正当化したくなる。もしくは、何をしたらよいかわからなくなってしまう。

学び手である子どもの学びを優先するのか?
自分の「計画」「想定」「あたり前」を優先するのか?

まさに前回の私の記事は子どもが想定外の行動をし、自分の「快適ゾーン」の外に出された時、プロの教師としてあなたはどうする?という問いなのだ。



◾︎ 学び手から学びの主導権を奪わない。

私はよく「学び手の心に火を付けられているかどうか」を「良い授業かどうか」の判断基準として使っている。

本当に学びが起きている時というのは、学び手の目は輝き、学びが急速に起こり、それが他者にも感染するくらいのエネルギーを発している。
コルトハーヘン氏がいうところの「フロー」。

ではどんな時に火がつくのか。「フロー」状態になるのか。

それは、学び手自身の「ニーズ」が満たされている時。
「知りたい!」「楽しい!」「もっとやりたい!」「学びたい!」というニーズ。

逆に、学び手に「ニーズ」がない状態だと、そもそも学びが起きない。

いかに学びに夢中になれる環境をつくれるかが大切。
なぜなら、「学び」は押し付けられるものではない。
学びの主導権は教え手がもっているのではなく、学び手がもっているんだもの。

学び手の学びをコントロールしようとしていない?
自分の「都合」を優先していない?


◾︎ 自分の中の「矛盾」を認識して向き合う。

以前Facebookにも投稿した文。

《「ユニバーサルデザイン学習」について話す先生の授業が全然「ユニバーサル」じゃなかったり、「罰を使うのは効果的じゃない」と言う行動分析家が弟子に対しては罰を使いまくりだったり、「多様性を受け入れよう!」と言う人がその考えを受け入れられない人の悪口ばかり言ってたり、「お年寄りが過ごしやすいまちづくりを」がキャッチコピーの議員が優先席を譲らなかったり。
誰だって矛盾してる。
あたしもいつも「みんな自分のものさしで判断して欲しい!」といいながら、あたしの思い通りに動かそうとしたり、「学び手は常に正しい!」と言いながら、こだわって固執して譲れなかったりすることばかりね。すぐ論破しようとするし、思い通りにならないと機嫌悪くなるし。(めんどう…
「うあ、あたし今支配しようとしてた」みたいのも。
みんなは自分の中のそういう矛盾とどう付き合っているのだろう?
特に先生はどうしているのかな。》

これはつまり自分の中での「理想」と自分の「行動」が矛盾している状態に陥った時どうする?ということ。

コルトハーヘン氏はリフレクションをする中で、これらの「不一致」や「一致」に自分で自覚的であることが必要としている。
「良い経験」というのは大抵自分の理想・アイデンティティー・信念・行動など、自分の内的なものがすべて一致している状態であり、かつそれが環境のニーズともマッチしている状態。「失敗体験」というのは、それらのいずれかに不一致・不調和・矛盾がおきている状態。

良い体験や失敗体験をリフレクションする時、自分と他者との相互作用の中でおきた不一致をリフレクションするだけでなく、自分の理想はなんだっけ?アイデンティていーは?信念は?などと自問することにより、自分の中でなんかしらの矛盾がおきていないかを確認する。
自分の中でどんな矛盾がおきているのかを明らかにすることで、どうしたら矛盾を解消できるのかを考える。
自分の中の矛盾を解消しないと、おそらくいつまでたっても環境。。。つまり外的な要因(他者)の責任にしちゃって、解決に向かわないから。

「ユニバーサルデザイン学習」について話す自分の講義がまったく「ユニバーサル」じゃないのはなぜ? 誰かのせい?
それは、自分の中で理想と行動が矛盾しているから。
そこを正当化せずに、少し離れたところから、そういう自分の中の矛盾を「認識」すること。「気づく」こと。


◾︎ 自分の「強み」を自覚して、それを活かす。

リフレクションをする中で、自分の中の矛盾に気がつくと、すごく落ちてしまうかもしれない。。。
私はいつもそう。

そういった状態に陥らないためにも、コルトハーヘン氏は、自分の強みを認識し、それを問題解決のために活かす「コア・リフレクション」をつくった。

「強み」というのは、スキルでなく、その人がもっている特性のようなもの。
誰もがなんかしらの強みをもっているという前提に立ち、
それを活かすことによって(というより、自分の強み活かせるやん!と自分で自分をエンパワメントすること)により、矛盾から抜け出し理想に基づく行動をするきっかけをつくるということ。

ここについては感覚的にはわかるのだけれど。
私は個人的には、人は誰もがなんらかの特性をもっていて、それは強み・弱み表裏一体のものと考えている。環境や状況によって、自分の特性は強みにも弱みにもなる。リフレーミングってやつね。
だから、まずは強みも弱みも含めた自分の「特性」を把握して、いかにその自分の特性を「強み」として活かしていけるか、を考える方が向いている気がする。
どういう環境やどういう状況において、自分の特性が「強み」と成りうるか。
わたしは自分の「衝動性」「多動」「こだわり」という特性を強みとして生かそう!とおもった時にとっても楽になったから。

だから、今育成をしている人たちについても同じように、「あなたの特性はなに?」「それが強みになるのはどんな状況や環境?」って聞いている。

◾︎ 「いま、この瞬間」の自分を認識する

とっても興味深かったのは、
コルトハーヘン先生自身が、めっちゃリフレクションする人だったこと。
リフレクションに関するワークショップ自体がリフレクションを促すものだった。
参加者は、自分がリフレクションを経験するとともに、コルトハーヘン先生の「ワザ」を観察することが求められた。

ワークショップ参加者のニーズからはじめ、それを1日のアジェンダとして、ワークショップを進めていく。

そのためには、「いまこの瞬間の自分を、ヘリコプターで上から見ているもう一人の自分がいる」必要がある。(私はこれのことを「戦略的幽体離脱」とよく言っています笑)

コルトハーヘンさんは私が今まで出会った人の中でも最も「言っていること」と「やっていること」の矛盾に自覚的であり、自分と向き合い続けている人だなあ、とおもった。

リフレクションを促す教師教育者は、その人自身が超リフレクティブであることが求められる。

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すっごく抽象的でわかりにくくなってしまった。。。。それぞれについてもっと深く整理したい。。。。


すでに予定している校内研修や講演依頼は、早速コルトハーヘンさんから学んだことを活かしてみよう、と思う。とっても楽しそうでワクワクする。


今回主催してくだったみなさま、参加者のみなさま、そして誰よりもコルトハーヘン先生、素晴らしい学びの機会をいただきありがとうございました。
直感で「通訳やります!」って言って本当によかった。。。!




コルトハーヘン先生の「リアリスティック・アプローチ」「リフレクション」「コア・リフレクション」についてもっと知りたい方は下記の書籍をぜひ読んでみてください!






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